2011年版 メッセージ全文の紹介

2011年版に掲載したメッセージの全文を紹介します。
ここに紹介するメッセージは入稿前に念入りに検討した筈なのですが、 カレンダー完成後にビラ原を考えたり、このサイトのための文案を考えていると、 もっといい表現が浮かんだりするので困りものです。
カレンダーの文章はもう直せませんので、補足説明や修正などこちらでフォローしていきたいと思います。
2011年版の表紙はEF5861による浪漫さよなら運転@上越線です。この写真については若干議論になりました。編集者の独断で掲載に踏み切ったことをお詫びします。

【すべては国鉄分割民営化から始まった/表紙】

 今日の世界を覆う貧困と絶望は、日本においては1987年の国鉄分割民営化から始まりました。1974-5年の恐慌以降、経済成長の伸びしろに限界を感じていた各国の資本家・支配者層は、それまで「中産階級」の幻想のもとで生活を維持してきた労働者から徹底的に権利と富を収奪する方向に舵を切ったのです。いわゆる新自由主義の始まりです。

 そもそも労働によって賃金を得なければ生命を維持できない労働者は、自らの生命を人質に取られた賃金奴隷に他なりません。賃金や労働条件にどれだけ不満があっても、どこかで職を得なければ生きられないのです。かつて、このような奴隷的境遇の労働者を守ったのは労働組合でした。時にストライキなどの実力決起も辞さず雇用者と対決することで、かろうじて労働者は「人」であることが出来たのです。

 そうした訳で、労働者から徹底的に収奪を深めたい各国の支配者層にとってまず手を付けることは労働組合の破壊でした。我が国においては当時20万人の組合員を擁し過激な戦術を辞さなかった国労(国鉄労働組合)の解体が狙われます。ほどなく、新聞・テレビ・雑誌で徹底した反国労キャンペーンが展開されました。いわく、職員の怠慢が作った巨額の累積赤字、「ヤミカラ」(ヤミ休暇・カラ残業/出張)、ストばかりで働かない国労組合員と。赤字ローカル線がやり玉に挙がり出したのも同じ頃です。いわく100円稼ぐのに2000円かかるごく潰しなどなど。やがて、ローカル線の廃止が急速に進み、余剰人員という言葉が使われるようになります。

 ここではっきりさせておきましょう。
37兆円を超える国鉄の累積赤字は採算度外視で建設した新幹線と青函トンネル・瀬戸大橋など巨大インフラが原因です。当時の国鉄は1日に数億円の経常利益をあげる黒字企業でした。「ヤミカラ」は事実無根ですし、ストは労働者の権利、というより社会を社会として成立させるための最後の砦でした。
ローカル線はいくら収益率が悪くても赤字の絶対額は年間数億、新幹線の巨大赤字には足元にも及びません。むしろ地方振興策のひとつとして維持してもいいくらいでした。

 しかし残念なことに、当時実際の資料にあたって事実を検証し冷静な判断を下せる人は多くは居ませんでした。世論は急速に国鉄分割民営化容認に向かい、国労は戦犯扱いされます。1987年4月には国鉄分割民営化が断行され、国鉄職員は一旦全員解雇、選別の上一部だけがJRに再雇用されました。
この時、国鉄/JRは所属する労働組合によって職員を再雇用するか否かを判断してはいけない筈でした。国の定めた法律にそう書いてあります(不当労働行為)。ところが、現在ではこの不当労働行為の動かぬ証拠が見つかっています。国労など戦闘的な労働組合に所属する労働者が選別的に解雇されたのです。

 国鉄分割民営化の後、多くの有力な労働組合が形骸化していきます。雇用者と対決して労働者を守るのではなく、「労使協調」路線と称して労働者の権利と団結だけが一方的に奪われました。悪名高い「派遣」労働も現れます。労働者は再び生殺与奪権を雇用者に握られ、奴隷に転落したのです。幸いにして今のところ奴隷的境遇を免れている者にとっても他人ごとではありません。社会の生産活動のほとんどが奴隷労働に置き換わった今、かつて当然のように維持されていた安全や品質は失われ、格差と貧困が蔓延し、時代の針を逆回ししたような荒廃した世界が現れつつあります。

 こうした時代の逆風の中で不当労働行為による解雇の撤回を求める国鉄労働者の闘いは24年間続いて今なお健在です。24年を不屈に闘い続けた当該労働者の思いはもはや自らの解雇撤回・原職復帰だけではありません。国鉄分割民営化を機に始まったあらゆる労組破壊と対決し未来を拓き社会を再生する意気に燃えています。
本来、私たちのものであるべき私たち自身の生命を他ならぬ私たちが奪い返すことに何の遠慮が必要でしょうか。
国鉄解雇者の闘いはもはや彼らだけのものではなく、明日を信じて生きる私たち労働者すべてのものです。国鉄解雇撤回闘争へのご理解、ご支援をお願い申し上げます。
なお、このカレンダーの収益はすべて国鉄闘争支援のために活用させて頂きます。



2011年版1-2月は大糸線のキハ52始発列車です。

【労働者を殺すのは解雇ではない。解雇を通じた団結破壊である。/1月】

 国鉄分割民営化では十万人を越える国鉄労働者が職場を追われました。しかし、国鉄バッシングと組合バッシングの逆風の中、不当なものは不当であるとして千四十七名が二十三年間解雇撤回を求めて闘い続けました。国労本部はじめ既成労組・既成政党の歴史的屈服による昨年の「和解」策動にもかかわらず、六名の労働者が断固として闘う道を選択し、「和解」策動すらかけられなかった動労千葉の九名とあわせて十五名の不屈の労働者の隊列が登場しました。国鉄闘争はまだ終わっていません。物販をはじめとする団結の力が労働者を生かしています。解雇者を支え、団結を支える闘争団の物販を本年もよろしくお願いいたします。

【権力は腐敗する。現場労働者こそが社会を変える唯一の力だ。/2月】

 政治が迷走しています。既成労働組合も資本への屈服を深め、将来の展望は全く見えてきません。権力が必ず腐敗し、私欲と保身に汲々とするのは人類の長い歴史で実証された真実です。
もう「偉い人」に何かを期待するのはやめにしませんか。労働組合でさえ、上意下達の権力機構となった途端に腐敗を極めるのです。
われわれ一介の現場労働者こそが、社会の希望を作りだす真の主人公です。労働組合を再生し、上意下達を廃した真の労働者政党を建設して新しい世界の未来を拓きましょう。



2011年版3-4月は福知山線脱線事故現場付近を通過する特急「北近畿」(国鉄色)です。

【賃労働の本質は進化した奴隷制である。/3月】

 賃労働とはそもそも何でしょうか。労働によって賃金を得なければ生命を維持できない労働者は、自らの生命を人質に取られた賃金奴隷に他なりません。賃金や労働条件にどれだけ不満があっても、どこかで職を得なければ生きられないのです。もちろん、賃労働は自由契約の形式をとっていますから、自由のない奴隷の身分よりは一見ましに思われます。
しかし、奴隷の保護者でもある奴隷主と違い、単なる労働力商品の購入者である雇用者は労働者の品質管理に関するあらゆる義務から解放されています。雇用者はもはや賃金奴隷の健康や生命を保障する必要はなく、好きなように使い捨てることが出来ます。
悪質な奴隷制である賃金労働制度は廃止されなくてはなりません。

【闘いなくして安全なし。/4月】

 目先の利益があらゆるものに優先する新自由主義が猛威をふるい、輸送の安全が脅かされています。国鉄解体以降、JR各社の「合理化」は際限なく進み、二〇〇五年の福知山線脱線事故をはじめ多くの死傷事故、二〇一〇年の東海道新幹線停電事故やJR各社で続発するレールの破断など重大事故寸前の状況が頻発しています。
JR東日本では昨年四月に究極の分割民営化ともいえる安全切り捨ての検修外注化攻撃が画策されていましたが、動労千葉のストライキなど労働者の決起がこれを粉砕しました。
毎年四月下旬にはJR尼崎駅前にて尼崎事故弾劾!全国総決起集会が予定されています。もはや、労働者の闘いしか安全を守れない時代なのです。



2011年版5-6月は久留里線のキハ30三重連です。

【一人は万人のために万人は一人のために/5月】

 人間の社会を支えているのが助け合いであることは言うまでもありません。文明を支えているのも科学技術だけではなく協業が本質です。私たちが毎日使用する無数の製品、無数のサービスはいずれもどこかの誰かの働きなのです。いかに無限の権力や無限の富を手にしたところで、社会を支える無数の労働者の働きがなければ当たり前の日常生活すら送れません。
社会を支えているのは無数の労働者です。そして一人一人の労働者もまた他の無数の労働者に支えられています。
人間の関係性を軽んじ、富の増殖だけを究極の目的とする資本主義の中に人間の居場所も文明の未来もありません。


【赤字の責任は労働者にはない。/6月】

 いまさらですが、企業のトップは「最高経営責任者」と呼ばれます。資本主義の論理によれば、契約に基づいて入手した労働力商品を生かして最大限の利益をあげるのが、本来彼らの「仕事」の筈です。赤字の責任は経営者が負うべきもので、商品である労働力に責任を転嫁するのは単なる言いがかりです。
そもそも多くの場合、赤字の原因は過剰な設備投資です。例えば、国鉄ではそれが新幹線であり、自治体では箱モノと呼ばれる不要不急の建造物です。労働者がストライキやサボタージュによって抵抗する場合であっても、その責任は労働者の抵抗を招いた経営側に帰すべきです。赤字云々は賃金を切り下げたい雇用者の常套句です。
私たちは赤字の脅しに屈してはなりません。会社が潰れたら元も子もないじゃないか、という論法がよく使われますが、まともに運営している会社が潰れるようならおかしいのは社会そのものであって変革すべきは社会です。労働者だけが泥を被らなければならない理由は一切ありません。



2011年版7-8月は広島電鉄被爆電車650形651と原爆ドームです。

【事故の責任は労働者にはない。/7月】

 何を言うか!とおっしゃる方もおられるでしょうが、お聞きください。事故の責任とは何でしょうか。犯人を見つけて処罰することでしょうか。そうではありません。同種の事故をなくす、あるいは完全になくせないまでも極力減らすのが事故に対する責任の取り方ではないでしょうか。事故は故意による犯罪とは違いますから、処罰に対する恐怖は全く事故の抑止力になりません。あくまで科学的に事故を起こすに至ったシステム的な原因を一つ一つ潰していくことが重要なのです。
しかしながら事故を起こした直接の当事者(現場労働者)の責任を安易に認めるとシステムの運営者(管理責任者)が責任を逃れて現場だけに責任を押し付ける結果になりかねません。
いわゆるトカゲのしっぽ切りです。この場合、事故に至った本当の原因は手つかずのまま残りますから必ず同種の事故が繰り返されます。
人間はすべて不完全なものです。不完全な人間に完璧を期そうとすれば彼をバックアップするシステムにこそ完璧を求めるべきであって彼の不完全さを責めることなど全く無意味です。
もちろん社会の構成員として事故を防ぐ努力義務はすべての労働者にありますが、そのことと実際に起こった事故の責任は全く別個に考えるべきです。
1972年の船橋事故では当局が全面的に事故責任を転嫁しようとしていた高石運転士を国鉄労働者が守り抜きました。この闘いが今日、国鉄解雇撤回闘争の最大勢力となった動労千葉の鉄の団結につながっています。

【労働者の団結は戦争をとめる。/8月】

 かつてフランスや日本・アメリカの港湾労働者が軍事物資の荷役を拒否したとき、戦争の継続に重大な支障が起りました。社会のすべてを動かす労働者には戦争を止める力があります。戦禍の街では多くの「願い」や「祈り」が聞かれますが、願いや祈りだけで戦争を止められたことがかつてあったでしょうか。
8月6日には労働者の団結で戦争をとめる「8・6ヒロシマ大行動」が開催され、国鉄闘争を闘う多くの労働者も結集します。ぜひ、ご参集ください。


2011年版9-10月は木次線のキハ28・58(木次線90周年号)です。

【分断を乗り越え団結せよ/9月】

 国鉄分割民営化型攻撃はさらに別の産業を狙って進行中です。
「赤字をことさらに宣伝する→それを労働者の責任に転嫁する→労組の破壊と首切り・低賃金化を強行する」と手法は国鉄分割民営化と全く同じです。すでに過剰なまでの財政赤字の宣伝、公務員バッシング、道州制の提案という形で攻撃は始まっています。無責任なマスコミの宣伝を信じて公務員を敵視している方も多いのではないでしょうか。
財政破綻した夕張市を例にとってみましょう。夕張市の財政赤字は353億円です。しかし、夕張市は閉山・撤退した炭鉱会社の後始末に583億円使っています。その後、産業のなくなった街を観光で盛りたてようと各種のテーマパークを建設しますが、ことごとく失敗、財政破綻します。甘い見込みでテーマパークを企画した市の指導的職員には確かに何がしかの責任があるかもしれません。しかし、テーマパークの立案に触れることすらできなかった大多数の市職員に何の責任があるでしょうか。
そもそも、炭鉱会社の尻拭いに市が拠出した額のほうが財政赤字をはるかに超えて巨額なのです。
私たちは安易な公務員バッシングに乗せられてはなりません。高給、高給と責められる公務員も90年代のバブル期にはボーナスが増えずに気の毒がられていた位ではありませんか。
公・民の分断を乗り越え、新しい時代のために労働者は団結しましょう。

【万国の労働者団結せよ。/10月】

 国鉄分割民営化型の攻撃は全世界に吹き荒れています。その中でも日本の国鉄闘争は24年の長期に渡って資本・権力と闘い続けている稀有の例として世界の注目を集めています。韓国の民主労総、アメリカのILWU、同じくアメリカのUTLA、ブラジルのコンルータス、ドイツのKRDなど多くの労働者が国鉄闘争との交流を始めています。海を隔てても労働者は一つです。11月初旬には毎年全国労働者集会が開かれ、年を追うごとに多くの国から労働者が結集します。あなたも11月全国労働者集会に来られませんか。私たちが獲得するものは全世界です。


2011年版11-12月は雪晴れのSL北びわこ号(C56160+12系客車)です。

【勝利の鍵は徹底非和解!/11月】

 2002年5月の国労臨時大会ではあくまで解雇撤回を掲げて闘う組合員を国労から除名することが画策されていました。これに反対し抗議のビラまきを行った国労組合員と支援者計7名が国労本部と計った警察に不当逮捕されます(5・27臨大闘争弾圧)。
この時の罪名は暴力行為等処罰法(暴処法)違反と共謀罪です。暴処法は戦前の治安維持法とセットになっていた悪法の生き残りで、権力にとっては負け知らずの強力な武器でした。
ところが、裁判の過程においても権力に対して完黙を貫く闘いで昨年11月、はじめて労働者が暴処法を粉砕したのです。資本・権力と徹底非和解で闘う時に道は開けるのです。

【労働者の獲得するものは全世界である。/12月】

 資本主義の世界では人間が本来自然や共同体から当然のように得ていたあらゆる恵みが有償とされ、持たざる者は持てる者に隷属を強要されます。
食べ物も衣服も住居も土地も水も教育も結婚も死すら、あらゆるものに値札が付けられ、持たざる者はこれらを手に入れるために持てる者のいかなる無理難題も受け入れるほかないのです。
これが奴隷制でなくて何でしょう。自由があるじゃないか、という反論があるかもしれません。しかし、我々にあるのは主人を選ぶ自由だけで奴隷以外の身分を選択する自由はないのです。いや、おまえには奴隷の身分を抜け出す機会がある、と再び反論されるかもしれません。しかし、奴隷の身分を抜け出すためにはそれこそ必死に働いて働いて働いてそれでもごくわずかが例外的に奴隷の境涯を抜け出すに過ぎません。機会の平等などまやかしです。機会の平等とはつまるところ、奴隷がより忠実に主人に尽くすための餌にすぎません。
私たちは空虚な見せかけの「自由」や「平等」の正体を見抜き、この社会の本質に気付くべきです。私たちはなぜ日々鬱々として楽しまないのか、すべてを奪われているからです。今こそ私たちは団結して不当に奪われた私たちのすべてを奪還しましょう。私たちの獲得するものは全世界です。


以上がカレンダーに掲載されたメッセージの全文です。修正や解説は適宜追加します。よろしくお願い致します。

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